北の海に浮かぶ利尻山 礼文岳 登山

日時:2010年7月24日~26日             吉田典夫 記
メンバー:吉田、野上
頂上でおもわず叫んだ。「やったー、貸し切りやー」

7月24日(土)13時、利尻山頂着。少し雲が浮かんでいるだけで、いい天気。
眼下には南北に細長く丘がつらなる礼文島がポッカリと浮かんでいる。
この時間は一般の登山者がすでに下山してしまったので、頂上には我々二人と途中から一緒になったおじさんの三名だけ。その人は四日間天気待ちをしてやっと今日登れたと言っていました。
今年の北海道は蝦夷梅雨というのかずっと天気がすぐれないようだ。
実際、天気が良かったのはこの日と、あくる日の二日間だけでした。
本当に我々は天候運がよかったと思います。

僕が利尻、礼文へ行ってみようかと思ったきっかけは、神戸~旭川に飛行機便が就航したのと、「青春18きっぷ」が発売され低価格でゆっくり楽しめるようになったからでした。
はるか昔にかえって、公共交通機関を乗り継ぎながら、ユースに泊って、約一週間のんびり独り旅をする予定でしたが、急きょ野上さんが加わり二人で行くことになりました。

まず、旭川から宗谷本線で稚内、フェリーに乗りついで利尻島鴛泊港。民宿泊。

翌24日(土)
朝、レンタカーを借りて島の西部の沓形港へ移動。
僕はzero to zeroというこだわりがあったのでそこで降ろしてもらって、海抜ゼロから歩き始めた。(4時半)
野上さんは途中の標高420M見返台登山口から出発。
そして途中で二人合流して一緒に登る。
ここは一般的なコースではないので他にだれもいない。
樺の木と笹に覆われた滑りやすい沢すじを登っていくと、2時間ほどで七合目避難小屋着。
腰を下ろし、おにぎりをほおばっているとおじさんがひとり追いついてきた。
天気はいいし、ここからは景色を楽しみながら中高年男三人で行くことになった。
更に登っていくと礼文岩と言われるところに着く。ここからの礼文島の眺めは最高。
ここでまたまた休憩。ここからは約一時間ほど急な登りが続く。
とにかく眺めは素晴らしい。
そして稜線に出たところから道はガレ場に変わる。
三眺山(1460M)というピークに着く。
あの富士山のような優しい姿からは想像もつかないほど崩壊がすすんだ荒々しい山容に姿を変える。ここからは山頂やローソク岩がすぐ眼の前に聳える。

鴛泊との合流点から鴛泊港


気をつけなければいけないのは、ここから先、鴛泊コースとの合流点までである。
左へトラバースすると今度はたえず岩が崩落している急斜面を横切ることになる。
一応、ロープは張ってあるが、切れかかっていたりしているので用心して進む。
ここを無事通過して尾根に上がる。そこが合流地点だ。ザックをデポして山頂へ向かう。
砂礫で滑りやすい溝みたいな所を(ところどころロープが張ってある)登っていくと30分くらいで頂上に着く。
利尻の頂上は双耳峰になっていて奥の南峰のほうが高いのだが、道が崩壊していて進入禁止。
天気はいいし暖かいし、気持ちいいのでおしゃべりをしているうちに、つい長居をしてしまった。
頂上でその人と別れ、我々は鴛泊一般コースを下る。
九合目までは滑りやすいので注意。
そこから樹林の中を避難小屋経由して長官山へと下りていく。
眼下には島の北部の海岸線が広がっている。
時折、フェリーボートの白い航跡が細長くのびている。
なんとものどかな眺めだろうか。

鴛泊コース下り


今夜は眺めのいいところでテントを張って、遠く稚内市街の夜景を楽しむつもりだったが、明日のことを考えて下の北麓野営場まで下りることにする。
樹林の中の単調な道を下ること3時間ほどでテント場着。(18時)
14時間にもわたる長丁場、御苦労さまでした。
ここは緯度が関西地方よりも10度高いし日本列島の東端に位置するので日暮れは7時半頃、夜明けは3時半頃と行動できる時間は関西よりはるかに長い。
真夜中に目が覚めると満月がものすごくきれかったので、外に出てコーヒーを飲みながら一時間ほど眺めていました。

翌25日(日)
は朝から鴛泊に向けて下山。
今日は昨日よりももっといい天気だ。
もし今日、利尻に登るには水が3リットルは要るのではないかと思うくらい気温も高い。
港で魚定食を食べ、レンタカーで島内観光に出発。
一周約60キロなので3時間もあればOK。
島のどこからでもいろんな表情の利尻富士が見える。
僕は東南から見た荒々しい姿がいいですね。
また、この島のいたるところには会津藩士のお墓があります。
19世紀初めに会津藩士がロシアからの脅威にそなえてこの島に移住し警備についたのがそもそもの始まりであったらしい。
そしてその越冬中に多くの藩士が死亡したとのことです。
僕が思うに会津藩というのはほとほと損な役回りばかりしているなと思いますね。
また、島の北にはペリー来航の5年前にアメリカから日本にあこがれ、この島に上陸した一人のアメリカ人青年の上陸記念碑が建っています。
北海道はその昔、豊富な海産資源や手つかずの原野があり、また北方の軍事拠点としての重要性から列強の脅威に常にさらされてきたという歴史があるのだなということをこうして現地に足を運ぶと実感として伝わってきました。
それと、さぞかし冬は寒いだろうと思うのですが、聞いてみると島のまわりを対馬海流という暖流が流れているので比較的気候はいいとの事でした。
とはいっても関西の我々とは感覚が違うとは思いますが。

翌26日(月)は内路登山口から礼文岳(490M)往復。3時間
あいにく曇りひょっとしたら雨が降るような天気。
高さは菊水山くらいだが稜線に出ると風がきつく寒さも加わり、さすが北の山だなと思いましたね。

礼文岳登り

礼文岳頂上

山行はこれで終わり、あとはレンタカーで北海道東部知床などを回って、29日(木)旭川から帰宅しました。
利用した交通機関は飛行機、電車、船、路線バス、レンタカーの5種類、お金を出して泊ったのは3回。

利尻山は日本百名山ということもあり、日本全国から登山者がきていました。
ほとんどが僕らみたいな中高年で、はるばる車に乗ってきて、キャンプ場で寝泊まり。
風呂、コンビニ、コインランドリーなど全てそろっているので何も不自由はありません。
北海道じゅうにはそんな「中高年さすらい人」たちがゴマンといましたね。
気候は涼しいし、お金さえ郵便局にあれば、ずっといても全然困りません。
道の駅はいたるところにあるし、キャンプしようと思えばいくらでもありますから。
でも、地元にとっては迷惑な話でしょうね。お金は使ってくれないし、ゴミは出すし。
それと、昔のようなカニ族という若者の旅行者は少なかったですね。
就活でそれどころではないのでしょう。
あと多かったのは中華系のツアー客でした。
むしろこの人たちを相手にした方がお金を使ってくれるので地元にはいいのではないでしょうかね。
また、機会があれば山にからませて北海道を旅したいですね。
最後に、稚内ユースでお世話になった方々、道の駅でいろいろ教えて下さったキャンピングカーの方々、本当にありがとうございました。