Home > 山行報告 > 年末年始 八ヶ岳の記録
年末年始 八ヶ岳の記録     

日程:2006/12/29---2007/1/1 山域:八ヶ岳東面
メンバー:岩瀬、須川、滝口(記)

12/29 入山
12/30 天狗尾根
12/31 停滞
01/01 旭岳東稜 敗退 下山

まず最初に、2007/1/1の下山が遅れて、山岳会の先輩方に迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。以下、今回の山行記録です。

12/29  出合小屋まで。途中、雪が多かったため、権現岳東稜を敗退した二人組みに会う。小屋まではうっすらと雪が積もっている程度だったので、彼らの話を聞いても上部にそんなに雪が多いという実感がなかなかわかなかった。小屋に着いたあと、上の権現沢へ入るが、雪で沢はほとんど埋まっていた。

12/30    天狗尾根遠望
5:00出合小屋出発。赤岳沢へ入り沢を詰める。沢は暗く、尾根にはどこから取り付いても良かったのだろうが、登りやすい所まで、一時間弱ほど歩く。尾根に取り付いて、高度が上がっていくと徐々に雪が深くなってくる。今回天狗尾根に登るのは、僕らのパーティと、小屋で一緒だった東京の山岳会の人たちだった。ラッセルを続け、尾根に上がるころ、東京の方たちも僕らに追いついてきた。年配の方が多いパーティだったが脚力のある人たちだった。天気は快晴で、前にトレースもなく、気持ちの良い歩きだった。

尾根に上がってからも、ずっと登りが続きラッセルがしんどい。途中、後ろからテントを担いだ強力な4人パーティが追いついてきた。交互にラッセルができると思ったが、そのパーティの新人の人がラッセルが遅いため、同パーティのリーダーらしき人に、「さっさと行けよ。遅ぇんだよ」と怒られていた。
そんなに怒らんでもと思いながら、確かに遅いので、途中ラッセルを変わり、また先頭にたって歩く。ほかのパーティはわかんを持ってきていなかったので、先頭にたってもラッセルが遅く、基本的に僕らのパーティがラッセルの先頭になった。

途中、フィックスの張ってあるルンゼを通る。雪がべったりついていて、アイゼンで雪面を蹴りこんでも、岩が出てきたり雪を踏み抜いたりで結構しんどい。フィックスロープにユマールを掛け、雪を掻き分けながら進む。その後大天狗までの途中で一度道を間違え、尾根の左側へ回り込んでしまった。そのタイムロスで、強力な4人組のパーティと先頭が入れ替わった。ここより大天狗まで2-3回ロープを出し、大天狗で大渋滞が起こる。

僕らのパーティが最後に大天狗へ着いたが、先の4人組パーティが、大天狗を一度登るもルート選択が悪く、ハーケンを打って一度降りてくる。その後、岩を少し登りトラバースをして大天狗を超えていった。見る限りかなりやらしそうだ。文献を読んでも登った人に聞いても、そんなに難しくないと思っていたのに、ここは絶対ロープが必要だと思えるくらいやらしいところだった。

その後東京の年配パーティが2番目に越えていったが、最後の人が我々のロープをバックロープでフィックスしてくれ、我々はリードをせずにそのまま登ることができた。小屋も一緒だった東京の年配組は、出合小屋まで帰るのに僕らのわかんラッセルを当てにしているようだった。天狗尾根の雪の量からして、ツルネ東稜もかなりのラッセルを強いられるだろう。

結局天狗尾根を超え、稜線に出たのは、16:00ころだったと思う。キレット小屋に着いたころは、17:00位でここでビバークするかツルネを超え、小屋まで戻るか判断するが、ツルネ東稜は踏み後もなく、キレット小屋までのラッセルも膝上まであり雪の深さが思いやられる。ツルネも下りづらいという判断を取り、ビバークすることに決める。小屋の裏手で雪を堀りツェルトをかぶって一晩過ごす。特に風もなく猛烈に寒いというほどでもなかったが、やはりツェルトで仮眠するのは快適なものではなかった。隣の東京の年配パーティからは歌声が聞こえてくる。彼らは、ビバークも楽しんでいるようだった。月明かりで明るく、風もなく、穏やかな夜だったが、ゆっくり寝れはしなかった。


12/31 5:00前に出発する。ツルネまでの稜線もラッセルに苦しむ。夜が明けると雪面が凍って歩きやすいと思ったのに、腰までもぐるとこもありうんざりする。稜線も風が強く、ツルネの頭まではちょっとしんどかった。ツルネの東稜は、左右と迷いやすい尾根が派生していて、最初の尾根の分岐は気をつけて歩いていたので間違えずにすんだが、二番目の迷い尾根で上の権現沢のほうへ少し道を間違えてしまう。

雪面をトラバースし東稜に戻り、小屋に着いたのは9:00前ころだったと思う。腹が減っていたので、昨晩食べるはずだったなべを早速食べる。昨日ともにビバークをした東京の会の人は、ビールを持ってきていたようで、一缶ご馳走してくれた。凍ったビールだったが格別にうまい。彼らは、グループ・ド・パピヨンという東京のクラブの人たちで気さくな好爺達だった。このパーティのリーダーは、エベレスト南壁隊に参加した方で7500m地点で飴だけで一週間すごした話などを聞かせてくれた。道中、この人は身のこなし方もよいし、体力もあるなと思っていたが、話を聞いてそのわけが理解できた。彼らは昨日降りる予定だったので、少し小屋で休んだあと、さっさと下山していった。

今日は昨日のビバークで寝不足だったので小屋で停滞することにする。須川さんと岩瀬君は早速いびきをかき始めた。気持ちよさそう。僕もツルネ下降中は眠かったが、小屋に戻り目が冴えてしまったので旭の東稜の取り付きを偵察に行く。先行パーティが入ったようで、トレースがあった。トレースがあるので、天狗尾根よりは楽に行けるだろうと思い、ラッキーと思いながら小屋へ帰った。偵察後小屋へ帰って、晩飯を食べてすぐに寝る。須川さんも岩瀬君も昼に寝たのに、夜もぐっすり眠れたよう。


1/1  東稜下部
旭岳東稜の取り付きは、上の権現沢からか権現沢どちらかを少しつめ、登りやすいところを選んで尾根に取り付く。先行パーティのトレースを辿り前者を選んで進む。ここもトレースがあるから助かったが、自分達でラッセルするならかなりしんどいじゃろうな、と思いながらトレースのありがたみを噛み締め歩かせていただく。尾根の途中で夜が明けたが、日が昇るところは残念なことに見れなかった。富士山が美しい。

途中3m位のクライムダウンをする場所があったが、ザイルを出し懸垂してそこを降りる。3m降りても結構右側がやらしかったので、ロープで安定したところまで下降。ラッセルを頼りにぐんぐん登っていくと、先行Pのツェルトが見えた。もう明るいのに、出発する気配もなく、ツェルトの中から、「途中までラッセルしてますから。(僕らが来たので)これで楽になるな」と声を掛けられた。何で出発せんのじゃろ?と思いつつ、ラッセルのお礼を言い、進んでいくと1P雪が悪くザイルが必要なところが出てきた。ここでラッセルも終わっており、自分らが先頭になって進む。ここから5段の宮までもラッセルがしんどい。本当にしんどい。途中傾斜もあることから、ラッセルが胸近いところもあった。ラッセルしてくれた岩瀬君に感謝。

5段の宮でロープを出して登る準備をしていると、先ほどのパーティが追いついてきた。向こうは経験者もいたようだが、僕らが先に着いたし、取り付きから見る限りさくっと登れそうだったので、自分がリードで登り始めた。ところが最初の潅木を越えて少し傾斜がついたところから、かなり雪が悪いことが分かった。蹴りこんでも岩だったり雪が安定せずに踏み抜いたり。ピッケルもバイルも振れどもまったく利かない。雪をだましだまし左上するが、潅木も少し弱い感じがする。

途中右に行きやすい雪面があったが、右に行くと、五段の宮の岩にもどってしまうし、戻ったところで1ピッチ目の途中ら辺にしか達していないところだったので、我慢して左上する。ロープがいっぱいになるころには、大きな潅木もなく、細い笹がまばらにあるだけで、ここで落ちたらえらい振られるな、と思いながら我慢して左上。見た目がしっかりした潅木まで何とか辿り付きビレイを取る。えらい時間がかかった。

岩瀬君ユマールで、須川さんがラストで登ってくるが、自分がビレイした木が強度的に少し不安だということが分かったので、少し自分より下の位置で岩瀬君と須川さんがセルフを取ってもらう。後行パーティも須川さんの後ろからついてくるが、自称ガイド?という方が、我々を追い越して、途中で行き詰まる。早く行ってくれと思うも、すぐ先で左に行くか右に行くかを結構悩んでいて、こっちは体が冷えてくる。彼は右を選んで登っていったが、いきなり「落ちた-----」(彼自身の声だっと思う)という叫び声が聞こえた瞬間、彼が落ちてきた。自分がいた真横の位置からもろに見えたが落ちてもなかなか止まらなく、10m弱落ちたんじゃないかと思う。ちょうど須川さんたちの真上で落ちたが、小さなリッジをはさんだ反対側に落ちたので、須川さんたちには当たらなかったが、結構近くまで落ちてきたと思う。

止まったあと、「大丈夫ですか?」と三人で声をかけたが、大丈夫ですとは言うものの、精神的ダメージはかなり大きそうに見えた。怪我はしていないようだったが…結局落ちたところまで登り返し、そこでピッチを切ってセカンドが登ってくる。セカンドの人たちも、「(雪が)悪いなぁ。なんでこんなところ登ったんや」とぶつぶつ言いながら上がってくる。確かに雪も悪いが、ルートはここであっとると思うがなと思っていたが、あまりにも「悪いなぁ、ここ絶対違うわ」というつぶやきが聞こえてきて、やっぱりまちがっとったんかなと、不安になる。しかし、よく考えたら自分が登ったルートを着いてきた後行パーティに言われる筋合いもないかなと思ったけど。

結局彼らが合流し登り始めたが、僕らのすぐ上の場所にいるし、彼らがもう1ピッチ登るまで自分らも動けない。さらに待たされていた間に体が冷え切って手足もかじかみ動きが悪くなったので、「下りましょう」と須川さん、岩瀬君に伝え懸垂で下りることにする。雪も悪かったし、人が目の前で落ちたことにしびれたのも理由のひとつだ。

しかし降りるのも大変で、ザイル一杯斜上してきたため、斜めに降りるのも正直しんどい。途中潅木がなく笹しかないところもあったので、まっすぐ懸垂することにした。25m一杯で少し傾斜が緩みしっかりした潅木まで下りれたので、そこからトラバースして5段の宮の取り付きへ戻った。実力不足を感じ、さっさともと来た尾根を下降する。降りる途中、5段の宮を振り返ったがやはり、登っていた位置は間違いないように思えた。また先行パーティも懸垂しておりてきているのが遠めに見えた。

小屋に着いて、テントを畳み、すぐに車のところまで帰った。帰り道、長い林道を歩くのも疲れたが、月が明るく今思い返せば少し感慨深い。実力不足、体力不足を感じ重い足取りで車までたどり着く。20:00ころだったと思う。
古賀さんに下山連絡すると、下山が遅いのでかなり心配してくれていて、心配掛けていたことに本当に申し訳なく思う。(予備日をとっていたので、1/1に降りなくてもいいと思っていました)

今回の山行は、天気もよく、雪が多かったが自分等の実力不足が原因で達成できなかったことは明白である。今後このようなことがないように、練習、計画を立てて山に望みます。 以上



Home > 山行報告 > 年末年始 八ヶ岳の記録