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会津駒ヶ岳スキー登山  2005.2.13(日)

天候 晴 行動中の最低気温−9℃  記:金田 晏(単独行)

 目覚まし時計の電池切れで出発が遅れ檜枝岐村に着いたのは8時35分だった。すでに陽光が山肌の下の方まで当たり始め,久しぶりの天気に村人は屋根の雪下ろしに余念がない。登山口に近い駐車場は未除雪で入れず村人の好意で空き地に駐車させてもらう。

 9時登山口の滝沢橋(標高930m)を出発 ,道路の除雪で雪壁となった側壁の上に板を放り上げてよじ登り下ノ沢沿いの林道に入る。先行者のラッセルがあり正直に言ってホッとする。上ノ沢に入って杉林を抜けた台地で先行の3人パーテイに追いつきラッセルの礼を述べると,先週岳連の行事(私も参加したが道路が雪崩で通行止めになり中止になった)で会ったY会のH氏のパーテイだった。他の二人は初対面だったので自己紹介すると,「ええつ!!神戸から登りに来たんですか?」と驚いていた。

 ここからのルートは地図上にある登山道は夏道で右手の主尾根の末端に回り込んで取り付くが,山スキールートは正面の浅い谷をつめて途中から左の尾根にトラバースして尾根上に出る。ラッセルを交代して先行する。昨日のラッセル跡があり助かる。尾根に出たところで交代してもらい夏道と合流するブナ林の台地に出る。テントが一張りあり,そこからラッセルがブナ林の中を上に向かっている。再び先行して気持ちの良いブナ林の中を登る。先行者はストックの跡から判断して二人のようだ。下りに迷いやすいポイントを過ぎると尾根もやや痩せ気味になりシラビソの針葉樹林帯(標高1700m)の登行となる。

 12時10分(標高1885m)登山口を出発以来初めて小休止をとり行動食を摂る。この山行から水分補給はハイドレーションパックシステムのザックにしたので歩行しながらいつでも水分を摂れるので休まなくて済む。私はスタミナがないのでゆっくりだが出来るだけ休まないようにと心がけている。少し登ると先行していた二人パーテイが降ってきた。ラッセルの礼を述べると「ラッセルは直ぐ上までですよ。深くて(雪が)降りも板が潜っちゃって滑らないのでこれ以上登っても下りが大変だし,時間的にも....」といって降っていった。

 緩斜面をラッセルして森林限界に出ると前方に会津駒のなだらかな全容が姿を現す。純白の斜面が頂上へと繋がっている。南西方向には尾瀬の盟主双耳峰の燧ヶ岳と至仏山が午後の陽光を浴びて,いぶし銀の輝きを放っている。すぐY会の人達が追いついてきて「おお,ラッセルがない!!」といって交代してくれる。しかし彼らも少し登ったところでストップダウン「時間的にももう時間だし私達は降りますが,上まで行くんですか?」 ん...みんなでラッセルすれば行けないこともないが一人じゃなあ〜とは言えないし「ええ...行けるところまで...」と返事をして別れる。

 そして,また単独行になってしまった。天気よし眺望良し雪崩の心配なしなのでゆっくりと登る。ドーム上のピークの腹を巻いて駒ノ小屋を目指そうとしたが凹地が隠れていて,降って登り返すのが大変なのでピークまで登って稜線を行くことにする。しかしピークに立ったときには,すでに午後2時を過ぎていた。タイムリミットオーバーだ。標高を見ると2100mを指しているが地図上の2020mのピーク上にいるようだ。

 今日はここまでとザックを降ろして写真を撮り滑降の支度をする。今日の敗因は(頂上に立てなかった原因)出発時間の遅れである。2時間早く出ていれば先行者の2人パーテイと互いにラッセルを交代しながら,多分共に頂上に立てていただろう。と反省する。平ケ岳から越後三山の山並みに再度目で別れを告げて14時30分滑降開始。振り返ると純白の無垢の斜面に唯一無二のシュプールが黒い曲線となって浮かび上がり気持ちがよい。緩斜面の下りはストックで漕がないと板が前に進まないので,ラッセル跡を滑ってスピードに乗り左右のノントラックの斜面に飛び出して滑り降りる。

 この尾根の圧巻はブナ林帯の降りである。斜度は急からず緩からずで太いブナの間を縫うようにして滑り降りるのである。スピードに乗ってターンする木を直感的に判断して,というよりもリズムに乗ってターンしないと躊躇していると斜滑降になってしまう。スリリングで適度な緊張感があって楽しい。Y会のパーテイに登りで追いついたところと同じ台地で追いつき,来週の那須での山スキー技術講習会での再会を約して一緒に滑り降って15時30分下山する。

タイム:自宅出発5:50〜檜枝岐村着8:35〜登山口滝沢橋出発9:00〜尾根上10:05〜1885m地点12:10〜 2020mドーム状ピーク着14:08〜14:30滑降〜15:30下山

追伸  この投稿原稿を書いているさなかに数野満義君の訃報がもたらされた。志賀高原で往年の山仲間とスキーを楽しみ愉快な楽しい酒宴のあと,酔い覚ましのつもりで入ったのかその真意は判らないが,温泉で亡くなったのである。彼とは山登りを通じて40年来のおつきあいであった。しかし今はその思い出をひもとくより彼を失った悲しみで胸がいっぱいである。ただただご冥福を祈るばかりである。  合掌



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