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北岳〜塩見縦走記録
2002年12月29日〜2003年01月01日   滝口(記)

  29日  甲府に到着。寒い…。やっぱり神戸大阪とここは違う。寝ぼけ眼も一撃でさめる寒さだ。これからより寒い所へお金を出して行こうとしている我らはなんてアホなんだろうかと思いつつタクシーの人となる。さて、余談だが、このタクシーの運ちゃん、人の話を聞かないという得意技を持っていて、須川さんや森の話し掛けることには全て無視、あるいは別の角度からの答えを返してくる。僕は質問するのが嫌になり窓外の景色を眺めていた。(おそらくただ少し耳が遠い人なのだろう、本当はとてもいい人だと思う。)
 夜叉神に着く。ここで小林さんとバットレス中央稜を狙いに来てゲートが閉まっていて敗退したことを思い出した。せっかく休みを取ってもらって一緒に登ろうと闘志沸いていたのに。
調べ物不足だった。あの時は小川山で遊んで帰ってすぐ後、錫杖に行く途中事故を起こしてしまって須川さんに怪我させてしまった。おまけに闘志まで失ってしまった。この一年いろいろあったなぁと思いつつ、今はただ冬の北岳を目指す!
 人が少ないだろうと思い(僕は一人そう思っていた)、南アルプスの北岳を目的地にしたが初めから先行者のトレースがばっちりある。くそ、人居るんかい!しかも道が綺麗にできあがっとるじゃないかと、少し物足りなさを感じつつ、歩く。このときは体力もあり余裕もあり少し横柄になっていた。後から、先行者様様と思い知らされることになったのだ。
 森林限界の少し手前で幕営の準備に取り掛かる。...ポールのゴムが伸びている。それが原因になってなかなかポールがはまらない。しかもテントもぼろいときている。(これは僕の団装だったので知っていたが) テントを建てるのにえらい苦戦して手袋をしているにもかかわらず僕の指は凍ってしまった。動かないし痛いし、とにかく手袋は二重に着けるべきだと教えられた、お前は冷え性なんだからと。しかしこれ、天気が悪い稜線だったらチョットばかりやばかったかもと思う。やはり山に行く前は装点しないと駄目だな。これからは気をつけよう。
 晩は須川さんが作ってきたペミカンを食べる。くーーーっ美味い!僕が普段食べる晩飯なんか比べ物にならないくらい美味い。やはり山で食べる料理は外科医のどんな飯よりもおいしい。体が芯から温まった。牛肉のあのこりこりした食感僕は忘れんぞ。

  30日  朝から登りはしんどい。振り返れば富士山のなんと大きいことか。そして美しいことか。いっとき心を奪われてしまった。朝日に照らされピンクに輝く富士。僕はこれほど美しい富士山を見たことがない。いつか冬、あの頂へ向かって行こうと決めた。冬の富士山は風がいたるところから襲ってくるんでしょ?僕はそれをくらいながら山頂を極めたい。吹っ飛ばされそうな風の中で、「あっ、いま俺風にやられそうになっとる」と感じてみたい。(別にマゾじゃないよ)  
 ボーコン沢の頭に着くとバットレスがすぐそこで威圧的な姿をさらしていた。中央稜は短いながらも垂直に切れ落ち、四尾根は美しいリッジを形成しDガリーは雪で覆われて人を寄せ付けない。夏や秋には行けるとこでも冬になると途端に人を拒む山。そんないけずな山だからこそクライマーはそこを登ってやろうと闘志をかき立てて向かうんだろうなぁ。しかし、冬のあの中央稜をやるために何人の登山家が命を落としたんだろう。そこには陰惨な気配はなく、ただ女に憧れるように中央稜に惚れ抜いて振られた人たちの歴史があった。
 さて、ぬるい僕は夏か秋にまたその彼女に挑戦したいと思う。冬のバットレスに行くほど僕は彼女に惚れていないから、否その前に僕にはその能力がまだ足りないから、こつこつ上を目指すぞ。北岳の稜線に上がると西からの風が行きなり我々を、いや僕を打ちのめした。サムー、こりゃあかんわと思いそのまますぐピークを目指す。寒いのにちんたら登っとたら凍えるわ。八本場のコルも北岳の登りもガイドブックに書かれているよりはやさしい。と、言うかいつも思うがガイドは少し大げさなのかな。
 北岳からすぐ降りて間ノ岳を目指す。これがしんどかった。僕は前を行く単独行者に追いついてやろうと躍起になって登ったがあと少しのところで追いつけなかった。その上だんだん疲れてきて、ただ足を動かす人形にでもなったみたいにひたすら登った。
 そういえば、書き忘れていたが田中さんはすごい。首から一眼レフをぶら下げて、普通に登ってくる。カメラが振られて首が疲れんかなと思っていたが、何のことはない、僕を追い越して上から僕らが登ってくるところを写してくれているじゃあないか。こちらはカメラどころではなくただ早く上につきたいだけなのに。余裕があるっていうのは偉大だなと思った。
 ここから熊の平までは本当にくたびれた。トレースがあると昨日憤っていた僕は、一転、ああトレースってすばらしい!雪にはもぐらないしコンパスで方角あわさんでも道見えるし、樹林の中だってぐいぐい進める。トレースよ、ありがとう、と、心の中でつぶやいたのだ。熊の平に着いた頃僕の足は疲労がたまって(泣)状態だった。しかし人は歩いたら結構一日で進むもんだなぁとも思った。この日は昨日よりスムーズにテンとも建てられ、またまた須川さんのおいしい晩飯を食べる。今日の晩飯は豚肉でした。また、秋頃にはパパになるみたいで、びっくりしたわ。パパになるってのはどんなもんじゃろうか?とにかくこの一年大変じゃろうが頑張ってくださいや。また、差し入れもって遊びに行きますから。もちろん山もちょくちょく行きましょうね。

  31日  どんどんしんどくなる。疲労がたまるっていう言葉を聞いたことがあるけど、実感したのは初めてだ。僕ももう若くないなぁ。ただのトレーニング不足かもしれないが。この日はただひたすら塩見を目指した。途中の長い銃走路は正直頭に残ってない。塩見バットレス、これが近づいてくるにつれその格好よさがましてくる。北面を向いているせいか常に日陰でくらいイメージがあるが、近くで見るバットレスはかっこよすぎた。個人的には北岳よりも陰惨で挑戦的にも見えた。横目で見ながら一路稜線を目指すがこの登りは今回の山行で一番僕が食らった登りだった。無心で登った。ただ足を動かすしかない。息は切れ十歩歩いては少し休み、ピッケルににも少しよりかかった。くそ、何で俺こんなしんどい思いしてまで登っとるんや、と自分に毒づく。
 そして稜線に上がるとそこには風もなく、ただ美しい雪稜が塩見ピークへ続いていた。今合宿一番美しくまた登りたいと思わせる稜線だった。二年前登ったアイランドピークを思い出した。あの時もこんな感じじゃなかったかなぁと。塩見ピークでは初めて四人一緒に写真が撮れた。たまたまそこにいた単独行者にただ感謝。今回の山からは晴れたせいかとても下界や他のアルプスの山々が良く見えた。そしてその田舎の景色を見たとき、インドや外国で自分が異国の地で日本人だと思うよりも強く、その景色は僕自信を日本人だと認識させた。あの素朴な景色を見ていると日本という国に生まれて日本人らしい趣がわかる自分がとても嬉しく思えた。
 やはり日本はすばらしい国だ。下では政治家らが派閥争いに明け暮れ、アメリカはイラクをいじめ石油を狙うという帝国主義そのものをいまだに実行しているが、そこから見える山はそんなこと知らんよといいった顔で澄ましている。大きいなぁと思った。自然には全くかなわないなぁと。下にいたら下のことが当たり前のことの様に自分を取り囲むけど、ちょっと山に登って下を見てみたら全く矛盾の塊がそこにはある。たまには山に登らんと、これ人の頭おかしい方向にもっていかれるで、ほんまに。やっぱり山はいい。厳しさも安らぎもあるからなぁ。

 今回僕らは天気とトレースに恵まれた。いや、恵まれすぎた。トレースがなかったら、天気が悪かったらおそらくもっと日数がかかっただろうし、おそらく農鳥のほうへ逃げていたかも知れない。それなのに僕は全く疲れてしまった。こんだけの好条件じゃなかったらやばかったんじゃないか?僕は。しかも足は痛くなるし寒いし、しんどい。それなのに下りて温泉につかっているとそのしんどさが楽しさと思い出に変わっている。全く僕らはアホ以外の何者でもないな。またしんどいと分かっているのに、次の山のことを考えている。しかしそんなアホな仲間を僕は好きだし、僕もそうありたい。今回の仲間はみんなアホだったのでこの縦走が成功したのだと思う。また僕はそのアホで粋な仲間たちと山に行ってしんどさを楽しさに変えていきたい。山は酔狂だ。神戸山岳会万歳! 終わり


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