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大峰アイスクライミング・大普賢岳登頂
             2002年2月9日〜11日
 L岡島×2 橘 田中 森 石原(記)

 2月9日夜8時、JR西宮駅にて橘さんに車で拾ってもらう。目的地は大峰のわさび谷である。 前回のKAC山行の場所に近い。
 わさび谷へは、夜11時ぐらいについたが、他のパーティーがわさび谷の入り口でキャンプをしていた、寒そうである。実際、路面は凍結しておりチェーンが必要。
 岡島夫婦が先に到着しているはずであるため、さらに山道を登っていく。10分くらい走っても猫の子一匹出てこない。まわりの雰囲気も暗くなってきておりさすがにおかしいと判断、引き返す段では下り坂になるためタイヤが滑るのでゆっくりと下る。わさび谷の入り口に到着すると、ちょうど岡島夫婦が着いたところであった。 
 その後、みんなで梅酒のお湯割を飲みつつ、明日の山行のコンセンサスをとるそれによると、「地獄谷の左俣をつめて大普賢岳のピークを目指すことを目標とし、面白そうな氷曝があればトップロープをかけて楽しむ」という内容であった。 悪くない。明日の山行を楽しみにしつつ1時30分に就寝。

2月10日 6時に起床し、岡島さんが持参してくれたうどんで朝食を取る、玉子つきでパワーが出そうだ。すばらしい。
 各自冬装備を装着し、いらない荷物を車にデポして8時に出発。
僕は冬山のために、プラブーツ・アイゼン・シュラフを買った。購入は当然だが、学
生には痛い。 わさび谷の二股まではトレースがバッシリ付いていて気持ちよく歩けた。わさび谷という名前だけあって本当にわさびが作ってあるらしい。山道を歩いて20分ぐらいすると「わさび取るな!」と書いてある看板に遭遇した。木で門を作ってあり、それを越えてどんどん沢づたいに歩く。 2週間くらいランニングをしてなかったので足に堪える。岡島さんの奥さんも相当堪えているらしい、僕だけではないので内心ほっとする。 1時間ぐらい歩けば「グランド?」というでっかい氷曝に出くわす。二段になっており、高さが10Mから20Mぐらいある。標高がそんなに高いということではないので、氷の状態はあまり良いことはなく、登れるが危険であるため次の氷曝を目指して進む。このポイントで休憩を取り、アイゼンをつけた。
 10分くらい歩くと、氷曝に出くわすが、そこは右に巻く。岡島夫婦は直登する。上部に行けば行くほど氷の質は良くなり、規模も大きくなる。その上には7Mくらいの氷曝があり状態はかなり良い。僕は空身で両手にバイル(会長所有)を持ち、アイスボルダーに興じる。バイルが最高にバシバシ決まり、アイゼンも滑り出すこともない。さすが新品は違う!と感動する。
 そうこうしている内に、後ろから同志社大のワンダーフォーゲルのパーティーがやってきた、彼らは右俣に進むらしい。あと2度ほどアイスを登ったが大きな不安を感じることなく登ることができた。 不安を感じたのは、3Mくらいの岩を越えるところ。岩に薄く氷が付き、その上にうっすら雪が付いているやつだ。バイルを上部の氷(土かも)に刺して、薄い氷にアイゼンで立ちこむ。これは丁度、駒形岩にある「斜陽」というスラブのルートをリードする感覚に近かった。 ただ、妙に気持ちは落ち着いていた。
 大普賢岳への稜線に着くには、急な斜面を登らなければならないが、最後の方はほとんど木登りのように木をつかんでよじ登っていた。 楽しかった。
 稜線(「石の鼻」近く)にたどり着いたとき、1時か2時くらいだったような気がする。岡島夫婦が遅れているので、先にピークを目指して進むことにする。 大普賢岳への道はトレースがバッシリ付いているが、付き過ぎて氷化して滑るので危ない。途中、滑ってしまい鉄の階段に肘をぶつけうずくまる。 一時間ぐらい歩けばピーク(1779.9M)に着くことができた。
 岡島夫婦の到着を待ちつつ紅茶を沸かす。ピークで食べた橘さん持参のりんごは格別であった。 岡島夫婦の到着後、下山について協議をする。岡島さんの奥さんが疲れているようなので、早急に帰れるよう段取りをつけるため、橘・森・石原が「笠の窟尾根」を通ってわさび谷へ帰れるコースを取ろうと決める。 これが間違いであった。
 道がないため木などの障害物が多く歩くにも結構神経を使う、20分くらい歩くとなり厳しい岩肌が現れ、前進不可能と判断された。これでかなり疲れて足元がふらついた。アイゼンでも滑りそうだ。 しかし、橘さんはアイゼンをつけずに凍った斜面をどんどん歩く。後ろ姿がイエティに見えた。力強い。
 結局、和佐又山スキー場に向かって下山することになった。朝日窟・指弾窟の前を通って、あと2時間ぐらいでスキー場にたどり着くところであった。しかし、途中の分岐を間違えることによって、橘さんの言う「地獄のトラバース」が始まることになるのであった。
 分岐には、一方は「ヒュッテまで6.5キロ」と書いてあり、他方は書いている事は忘れたが、とにかくトンネルまでいけることが書いてあったように思う。そのトンネルがとりあえずの目的地点であったため岡島さんはその道を選んだのだと思う。確かにその標識から判断すると何らおかしな事はないし、なによりもたくさんの人が通ったトレースがくっきり付いているので何らの疑問を持つこともなく僕は進んでしまっ
た。
 しかし、進んでみるも、アップダウンはあるが、平均的な標高は変わっていない。20分くらいして取った休憩のときに引き返すべきであった。
 そこから進むも進むも高度は変わらない。理想的なトラバースと言える。5時30分、さすがにおかしいと橘さんが考え初めてコンパスで方向を確かめる。しかし、トラバースをしているため道はうねっており方向は定まらない。薄暗くなってきた。
 2度目にコンパスを確かめるも、道は南を向いている。 やはりおかしい、分岐から延々と2時間は歩いている、道は下る気配がない。後ろでいきなり「キャッ」とサルが叫ぶ声がして驚かされる。
 橘さんは岡島さんに戻ることを主張。岡島さんはこの道で合っていると主張して意見が真っ向から対立している。いわゆる修羅場だ。橘さんの意見は合理的で正しいように思えた。他方、岡島さんには道が合っていることに凄い自信があり、どちらの意見が良いのかわからなかった。
 僕としては、進んでも、まだ引き返し脱出できる範囲であったし、ビバークの食料・燃料があり、さらに岡島さんが今回のリーダーであるため、引き返さずに進む道を選んだ。
 9時をタイムリミットにすることに合意して進んだ。10分ぐらいすると、道が下降し始め7時30分に新伯母峠トンネルの和佐又口に到着した。
 僕はあの時どのような判断をすればベストであったのかまだ良くわからないけれど、まあ、たどり着けたのでよしとしよう。



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