北岳バットレス Dガリー奥壁 アルパインクライミング

山行日
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山域、ルート
北岳バットレス Dガリー奥壁
活動内容
アルパインクライミング
メンバー
L 須川雄司 滝口隆文 大塚啓史 石原昌典(記)

北岳バットレス Dガリー奥壁 アルパインクライミング 山行記録

  • 6日 十字クラック
  • 7日 第5尾根→下部フランケ→第四尾根→Dガリ奥壁

10月8日にこの文章を書いている。私にとって、あまりに衝撃が強く半ば心神耗弱状態であり、半分飛んでしまった記憶をつなぎ合わせて記す。

5日22時、西宮北口から名神に乗り昭和甲府ICをめざす。3時くらい昭和甲府ICを通過し、北岳を目指すも、山中にて車のガソリンが無いことに気付き引き返したため広河原に5時についた。車の中で2時間仮眠を取った後、北岳の白根御池小屋BCを目指し歩き出す。

10時に二股着。BCの設営代を浮かすため協議の末、全会一致で、二股とC沢との中間点にBCを張る。1030偵察と練習を兼ねて十字クラックを探す。間違えて第一尾根支稜を登ってしまったため取り付きが13時くらいになる。須川がリードをして支点を作り、トップロープで滝口・石原が登る。その後、大塚がリードをする。16時BCに到着し、登山者が少なくなる15時くらいにテントを張る。夕飯は滝口特製のキムチ鍋。うまい。麦六先生(麦焼酎)で乾杯し明日の成功を祈る。19時就寝。

7日3時起床。準備をしていると既に集発するパーティーがBCの傍を通る。3時30出発。5時に第5尾根に到着、5時30分に取り付く。リードは須川、滝口・大塚は須川に引き上げてもらい、石原は滝口に引き上げてもらうという形を取った。最初の2ピッチは傾斜が緩やかで良いウオーミングアップとなった。7日の朝はザックが凍りつくくらいに寒く、あまりじっとして居たくなかった。ここから後のルートは私にとって強烈であった。楽しい記憶を覚え、苦痛(精神的に堪える)な記憶を忘れようとする人間の本性からか、正確なタイム・ピッチ数を覚えていない。したがって、以下の記述は、参考にならないと言ってよい。

5尾根の次の下部フランケ3ピッチ目、が特に渋かった。30m IV+・A1のハングルートである。自分は引き上げてもらっていたが、初めてアブミを使ったため体勢が安定しない。アブミをフィイフィイで掛けていたため回収する際足を引っ掛けて落としてしまった。弁償である(泣)。

それから3ピッチくらいで4尾根に取り付く。4尾根は人気ルートだけあって他に5つくらいのパーティーが来ていた。込んでいただけに急かされ私はユマールで滝口のロープにつないで登る。良く考えると結構危険である。核心である4Mの垂壁は左に巻いて難なく通り抜ける。そこから50M懸垂下降したところで、そのまま4尾根を登るか、Dガリ奥壁を上るかどうかで一悶着があった(原因は自分にあるが)。懸垂下降したポイントからみるDガリ奥壁はツルツルのスラブであり厳しそうに見えたからだ(実際厳しかったが)。4尾根をそのまま登るように泣きを入れたりごねたりして主張するも、すでにDガリを登る雰囲気になっており、願いは聞き入れてもらえず。Dガリ奥壁の取り付きは14時くらいについた。ここからリードは大塚に交代、須川・石原は引っ張り上げてもらい、石原が滝口を引き上げる方式になった。厳しく見えたDガリのハングもセカンドなら結構進めた。しかし、2ピッチ目の長いクラックにはハーケン・ボルトが入ってなく、しかも、適当な大きさのカムを持ってないリード大塚にとっては厳しいコースになったであろう。その後の、35m IV+ チムニーは、体がはまってしまうと抜けるのが困難であるため、右にあるスラブっぽいところを登ると良い。最後の1ピッチ!!(喜)。

しかし、何を考えたのか大塚は、左・A1前傾壁に取り付いた。時既に4時半くらい、下からは冷たい霧が吹き上げかなり寒い。アア、なぜ右のチムニーに取り付かないのだ。この前傾壁は私にとって鬼門であった。アブミのため体勢が安定せず、アブミを支えているハーケンは半分腐っている、落ちて止らなければ即死である。自然と腕に力が入りすぐに疲労する。最悪の登り方である。

後続の滝口に4つのアブミと3つくらいのヌンチャクの回収をまかせ心の中で謝りながら登りきった。上部はガバで登りやすかった。

滝口は4つのアブミと大量のガチャ、それと大塚が置いて行った重いザックを回収しながら登ってきた。凄い男である。みんなが登りきったとき既に17時30分、あたりは暗くなり帰るのに危険であるため、ピークを踏むことなく、八本歯のコルを通ってBCに帰った、20時であった。

8日は決めてあった4尾根を登ることを取りやめて桃の木温泉に入って神戸に帰った18時着。

今回自分が腰抜けであることが再確認できた山行であり、かつ、一生忘れることのない良い思いでになったことは間違いない。最後ではあるが、須川さん滝口君大塚君に厚くお礼申し上げる。