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阿弥陀岳南稜−北八ガ岳までの縦走 ( 始めての雪山単独)

 1996年12月21・22日 松尾 礼子

 自分のなかでどうしてもこれをやり遂げなくては、次に進められないと思った。たかが、一泊の雪山で人も多い八ガ岳なのに。別に単独に憧れもなく、気負ったわけでもない。今行かないと苦しみは逃れられないし、延期されるだけ。他の方法もあっただろうが、取り合えずこれしか浮かばなっかったし、まずやってみたかった。所々で足踏みをしたけど、練習を組み立て技術も少しながら持ち、ホンチャンの経験もある程度し、自分の足りないところ危なっかしいところも人に指摘されて直さないといけないと意識し、partyでは地図読み気象、判断も一緒にできる範囲内で意見を言う。でもparty内でしか見えない自分。その自分がどれだけ成長してきたのか。一人でもしっかり山で判断して登って下りて来られるか。これから計画を立てて、リーダーとしてやっていく前に自分に自信があるだろうか。消極的だがフッと見失った自分に不安になった。同じ立場のもう一人の私がいたら、こんな唐突な発想もなく二人で楽しくバンバン行っただろう。山は好き。別に気負って行くわけでもない。でも山は生き方の成長の場でもありたい。今の自分が囲んでしまった枠を脱出するためにとりあえず浮かんだ打開策が冬の八ガ岳であった。その時、平成7年だった。でも日頃丈夫な母が寝込んでしまいやむなくボツ。そして平成8年冬やっとまた自分の中から、沸き出て来た。前の縦走に易いバリエーションをつけて。そして、冬合宿の前に自分に決着をつけたかった。

 21日朝、JR茅野駅につき船橋十字路(ゲート)までのTAXI相乗り者を見つける。他の人たちは皆、広河原の方らしい。7:25林道をひとり歩き始める。8:15旭小屋。最初はうっすら雪がある。1・2日前のトレースが残る。9:52立場山。音の全く存在しない神秘な世界に入り込む。樹木の枝から落ちる雪の音もなく、ただすべての雑音を雪が吸収している。この感動を味わっただけでも来た甲斐があった。青ナギの辺りから視界が開け、真正面に広河原の奥壁が見える。きれいだ。今日はあまりにも天気に恵まれている。少しでも天が手助けしてくれているのだろう。阿弥陀南稜がよくわかり概念把握をする。P3のガリー(核心部)を探す。立ってみえ緊張の糸が走る。早く核心を越えてしまい為にあまり休まずに前へ進む。P1の登りよりアイゼンを付け、P2も左巻ぎみになんなく過ぎる。P3はすごい岩で全く手がでない。左にトラバースする前に気合を入れヘルメットを着用しシュリンゲを肩にかける。ところが、ガリーの出だしの岩1.5-2Mはけっこうホールドや足場がある。まだ正月前だから凍りついてないのだろう。そのまま上がるがここは絶対落ちてはいけない所なので一歩も気を許せない。所々アイスになっていて蹴り込みながら行く。急なので足がつりそう。途中よりガリーの横の雪壁に入る事もできる。後は青ペンキどおりに行き味気無い。P4もお助けシュリンゲがかかり簡単に上がれた。少し雪稜を行くと、阿弥陀岳頂上。12:36。いつの間にか一人でバンザイを叫んでいた。富士山、北ア、南ア、すべて見渡せる。快挙だったと言うより今の私が行けて当たり前のルートだろうが、出発前の緊張感から併せて満足感がかなりあった。

 登山道の下りは急で改めて気を引き締める。計画書には、私自身雪の判断ができないだろうから文三郎からの下降としたが、中岳沢を見ると下りたくなる。崩れる程の雪もないのが明らかにわかったので、降り口に念のため赤旗を取り付ける。13:30行者小屋。今まで一人で静な山を楽しんでいたがここでは人が多すぎてせっかくの雰囲気がつぶれてしまった。しかし初めての単独の雪山として無難な八ガ岳を自分で選んだので仕方がない。ツェルトを粗末な立て方にしてしまう。中では、ひっそりと取り敢えずのお祝いの宴会を始める。差し入れのワインとカマンベールチーズをいただき幸せに眠る。

22日。夜少し雪が降るが、朝は晴れた。一人で撤収しないといけないので計算違いで出発が少し遅くなる。6:55行者小屋出。地蔵尾根より横岳、硫黄、東天狗を縦走する。稜線に出ると風が強い。黒百合平から渋ノ湯へ下りる。13:45。北八の登山者はお化粧した女の人も多く、私にとっては場違いで今日の縦走は体を動かしただけで、面白みはなかった。
 今回は天気にも恵まれ簡単に行けたが、自分を見直すいい機会となった。また、一人で行ってみたい。
 *その時の私には、一人でザイルを出す技術もなく中途半端にザイルを持っていかずに、ザイルがなくては登れない様なら、諦めて引き返す事にしていた。



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